「知ろう」とする姿勢の獲得方法

「知ろう」とする 前のめりな姿勢?

生活の中で、人が何かをするということはとても重要なことです。

棚を修繕するのに釘一本打てないというのでは困らないでしょうか?

「いや、困らない。」

「そういうことはどうでもいいんじゃないか。」

などと思っていませんか?

いつも誰かが釘を打ち、棚を直してくれる。

というより、今は買い替えるのでしょうか。

とにかく、そんな雑多な事より勉強している方がいいに決まっていると・・・。

しかし、大切なことは、棚に釘を打つ行為そのものではなく、棚を修繕するには、板や釘やカナヅチの性質をよくわきまえていないといけないということです。

これら「もの」の性質は、はじめから思い通りになるものではなく、ある程度の過程を経て身につくものです。

朝のトースト1枚を焼くにしても、いつも上手に焼けるためには、オーブンとそれぞれのパンの性質を知ろうとするでしょう。

食パンとロールパンではオーブントースターを使うなら、パンの厚さが違うので、焼き方も違うはずです。

ということは、ロールパンを焼く時は考えて工夫しなければなりません。

その「知ろう」という前のめりの感覚を生活の中でつかんでいる人は、学習に対しても「与えられるままに」にならず、「対象物を知ろう」、その気持ちがもっと上達すれば「分析しよう」という気持ちまでが自然に備わってきます。

漢字や計算の反復ドリルの中からは、その意識は生まれません。

人は道具を使うことで脳を大きくし、他の動物の追従を許さない存在になりました。

猿のような高い知能の動物でさえ、「物」そのものの学習はしないのです。

人間だけです。

子どものうちに、生活の中の様々なことに目をとめ、日常の様々な道具の使い方に接してみること。

そのことが目の前の対象物を自分の方から観て、分析し、考えるということが身につくということを知り、実践できるのです。